海外ブランドの本社VMDになるまでの道のり~⑦ 第二幕トッズ編~ by VMD 会社
- isakonju
- 2023年5月10日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年8月3日
GUCCIを退職後、ご縁がありTOD'S JAPANに入社しました。当時のトッズのVMD、ディスプレイは個人の印象としては良くも悪くも普通で不変。動のディスプレイはなく、静のディスプレイでのVMD、店づくりが主でした。ただこれがこのブランドの良さでもあると思います。入社前にジャパン社から言われたことは、VMDを変えたい。改善したい。と。これが楽しそうで、これが入社の決め手でした。ただ本国はそうは思っていない節もあったので、少しずつ少しづつ変化を与えていきました。もちろんブランドイメージ、守るべきルールは守りながらです。
そうこうしている3-4か月の間でいろいろあり、マネージャーになるように社長から言われました。※マネージャーは日本国内の責任者、日本企業でいう部長です
他部署のマネージャーは若くても40前後、50代の方がほとんどです。当時まだ28歳の私は、日本のVMDのトップになる自信がなく、一度断りました。28で部長は無理でしょう。と。
しかし、当時の社長から言われた言葉は、

できるかできないかは、お前が決めるんじゃない!俺が決めるんだ!!
できなければ、他のブランドからマネージャーを連れてくると。そう言われてやらないわけにはいかず、『やるし』と思い引き受けました。社長上手いなー。
ここから激動の第二幕が始まります。
最初は本国のイタリア(Global VMD Director/ VMDのトップ)とメールや電話でよく喧嘩していました笑 お互い主張が強くどちらも一歩も引かない。もちろん、私はブランドの意向は尊重しつつ、日本というマーケットに必要なことを主張していましたが、今思えば、今ならもっと変化球を使ったり、回り道をしたり、上手く交渉できたと思うけど、当時は若さもあり全球直球勝負!!ぶつかりましたね。社長から、『イタリアに行ってこい。話をしてこい。』と。言われ、急遽2週間ほどのイタリア出張にいきました。
イタリアの店舗のディスプレイをしたり、イタリアンを食べたり、また店舗でVMD、ディスプレイをしたり、、、その中でも本国VMDのトップとどうディスプレイするか、どうレイアウトを組むかなど本当に多くのことを話し合いながらVMD、ディスプレイを進めていきました。私の目的は日本に必要なVMDの魅せ方、ディスプレイ方法を本国に認めさせる。(Localizeと言います)なので、その中で、本来TOD’SのVMDルールにはないディスプレイ方法を織り交ぜながら、VMDをしていきました。するとどうでしょう、本国のVMDのトップが『それいいね。』と。他のメンバーも呼んでイタリア語でごにょごにょごにょ。するとみんなが『Ikuro, 凄く綺麗なディスプレイ。新しいけどTOD’Sぽい。』など言ってくれるようになり、変化を感じる瞬間でした。
※ Localize:私の意見としては、その国々のブランドのポジショニング、認知度、価格帯、全体の集客数などによって、ブランドのイメージを維持しながら、その国に必要な訴求方法に変えることだと思っています。
認め会えた瞬間!!!
イタリア最後の仕事は、日本の銀座に位置するエリアでの路面店のリニューアルオープン準備。超重要店舗のリニューアルオープンのためのVMDです。店舗の内装デザインは新しいコンセプトのお店でした。『どう思う?こっちがいいかな?』と、いろいろ聞かれるようになったり、店舗の印象を決める一番重要なBAG棚の
ディスプレイを任されたり、新しい商品のディスプレイエリアを任されたり、楽しいいい仕事をさせてもらいました。終わったころもいろいろ話をして、お互いを認め合っている感じ、お互いをRespectしている感じがしました。この方は今やビッグメゾンのVMDのトップをされていますが、今も連絡を取り合う仲良しです。
ちなみに、この超重要店舗のリニューアルオープンは〇月○○日の午前11時予定でしたが、オペレーション側の準備が終わっておらず、お客様がならんでいるのに13時オープンに変えて、さらに少し遅れていました笑 イタリアらしい笑
つづく



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